New York Specialについて⑤たどり着いた事実

初めに、今回のブログ投稿は過去に私がアップした一連の記事「New York Specialについて」の骨子に当たる部分の訂正です。
しかも非常に大きな訂正になります。
これまで過去記事をお読みいただいておりました皆様にはお詫びを申し上げます。
私は「New York Specialについて」の文章を、ラブレスナイフ史上もっとも有名なモデルを通して時系列的な事実に近づきたい、そしてそれを書き残しておきたいという気持ちで書き始めました。
事実を知りたいという気持ちからスタートした文ではありましたが、自分が知ることのできる内容には自ずと限界があり、あくまでその時点で私が知り得た知識の中からの個人的推論であることをお断りしつつ、後に新たな事実がわかった際には速やかに訂正を加えていきたいと思っていました。
そして、その時が来ました。

私は過去ブログ記事の中で当時を知る何人かの方々のお話を比較し、オリジナルのニューヨーク・スペシャルが作られた時期はおそらく1974年ではないかとの推論を記述しました。
一方で、著名なラブレスナイフ・コレクターであるジョン・デントン氏はご自身のインスタグラムの中でも「ニューヨーク・スペシャルを削ったのはクザン小田氏である」と明言されています。
また過去にはニューヨーク・スペシャルは1977年にNew York City Custom Knife Collector’s Clubにて販売されたとも言及されていました。
同時代の事情を知る方々が言われる異なった内容に私はずっと困惑していました。しかも年月はどんどん流れ、遠ざかっていきます。

そんなある日、カスタムナイフに造詣の深い岩﨑琢也先生よりニューヨーク・スペシャルの件についてご連絡をいただきました。
そして「推論ではなくきちんと確認するためにも、クザンさんに直接尋ねてみませんか」とのお話をいただきました。
長い間の宿題であった本当のことが知りたく、私は岩﨑先生と共に小田氏のご自宅に伺いました。
なかなか切り出せない私に岩﨑先生が「何か小田さんに聞きたいことがあるそうですよ」と水を向けて下さり、私は緊張しながらも単刀直入に、ニューヨーク・スペシャルは小田さんが削られたのですか、と尋ねました。
小田氏は静かに、しかしはっきりと、そうですと答えられました。
それまでもやもやとしていた自分の思いに日が差した瞬間でした。

さらに訪問時には気後れし技術的なところまで細かくお聞きすることができなかった私のために、後日岩﨑先生はやはり事情を知られる古川四郎氏に連絡を取って下さいました。
製作技術に疎い私はそこで初めて、ニューヨーク・スペシャルの製作技術の詳細を古川氏より教えていただくことができました。
私にとって特に重要と思われた点は「クザン氏考案の特殊なバーキングの使い方でなければNew York Specialを作ることはできなかった」ということでした。

以下は古川氏からお伺いした内容になります。
元々後のニューヨーク・スペシャルとなるナイフの原案は、ローンデール時代からあったハイドアウトの小型バージョンでした。
ニューヨーク・スペシャルは刃渡僅か3インチ程度のダブルグラインドブレードです。
この大きさ(小ささ)でニューヨーク・スペシャルのブレードを当時のバーキングを使って最小である2インチホイールで削る場合、バーキングに向かってハンドルを左側にした方向で削る際、軸受け部分に手が干渉して自由に削れないという問題がありました。
そこでクザン氏はラブレス工房でニューヨーク・スパシャルを作る際、この問題を解決するために工房のバーキングを改造、軸受け部分の一部を削り落として2インチホイールでのグラインド時に手が干渉しないようにされたそうです。
この改造を施すことで初めて、小さなニューヨーク・スペシャルをあの形状かつあの精度で作ることが可能になったということでした。
こうした内容は、ニューヨーク・スペシャルの製作技術を知らない私には想像もできなかったものでした。
現在「オリジナルのニューヨーク・スペシャル」と呼ばれている作品をクザン小田氏が削られたのは間違いないと考えます。

最後にもう一つ、岩﨑先生、古川氏のお二方からお伺いした話を記します。
リバーサイド初期には大きなナイフを中心に作っていたラブレス氏が日本人のオーダーにも触発されて小型のモデルを作り始め、その影響でニューヨーク・スペシャルにも使われている最小サイズのロゴが使われ始めたのは、おそらく1970年代後半頃からとのことでした。

ここに至って、過去このサイトブログに掲載した私の推論は間違いであったという結論にたどり着きました。
ただ一方で、それは私にとってうれしいことでもありました。
クザン小田氏が伝説のニューヨーク・スペシャルを削られたと確信することができたからです。
振り返ってみれば随分と遠回りをしてしまいましたが、今はやっと肩の荷が下りたような気がしています。