New York Specialについて④ラブレス的マーケティング

これまで3回にわたり、関係の方たちから取材した内容を織り込みながら、私が考えるニューヨーク・スペシャルが作られた経緯や時期について書いてきました。
最後にもう一つ回収しなければならない疑問、なぜニューヨーク・スペシャルに絡んで「ニューヨークで刑事からの要請を受けて作られた」というストーリーが身内を含む人々にまで広まったのかについて書いていきます。
この話について考えることは、ラブレス氏が自身と彼のナイフについて貫いてきたマーケティング手法を知ることと言えます。
一言でいえば、それは「徹底したブランディング」です。
再度述べますが、これはあくまでも私が知り得た知識の中から、私が推測している範囲での話になりますので、その点はご了承下さい。

かつて故和田榮氏が、ストック・アンド・リムーバル法でのナイフ作りにおいて、同じ材質、同じデザインであれば、それらはおのずと限りなく同じものに近づく、ということを言われていた記憶があります。
もちろん完全に同じというものはなく、独特な角の仕上げ等は「本物のラブレス・ナイフはここが違う!」的な記事等でも説明されています。
しかし今ではラブレス氏の流れを汲んだ各国のメーカーさんたちの作品は、実用性はもちろんデザインの美しさにおいても立派に商品として市場で取引されています。
いずれ自分に劣らぬ品質のものを自分より安価に提供するライバルがたくさん現れるはず、そう考えていたのは他ならぬラブレス氏自身であったと思いますし、Johnson氏が去った1974年以降、ナイフショーでそのことは既に実感していたでしょう。
実用品として考える限り、それは避けられないことです。
ではどうするのか?
答えは「ラブレス作」であることの付加価値を高めるしかありません。
それはすなわち「ラブレスという人間」の価値を高めるということでもあります。
そうすることにより、たとえ実用的性能がほとんど変わらないものであったとしても「何倍かのお金を出しても本物が欲しい」という欲求を起こさせることができます。
これは様々な分野において、多くのメーカーが採用してきたブランディングの手法でもあります。

ラブレス氏がストック・アンド・リムーバル法で本格的なハンター用ナイフを作った先駆者であることは事実ですし、それをシステマティックに作る流れを組み立てた先見の明や、何よりもそのデザイン力が卓越したものであることに疑いの余地はありません。
ナイフメイキングに関する一手法を確立した独創性、行動力は比類なきものだと思います。
たとえマーケティング的手法に長けていても、そうした土台がなければそもそもお話になりませんしラブレス氏の知名度も成り立つことはなかったでしょう。
ナイフの世界に限らず、すばらしい技術を持っていた職人さんたちの中には、多くの人に知られることもなく、ひっそりとその生涯を終えた方もたくさんいました。
それに対し、元々GUN DIGEST等の媒体を使って宣伝をしたり、そこを通しての注文急増も体験していたラブレス氏は、マーケティングの大切さをよく知っていたはずです。
自己の存在をアピールすることにおいて、ラブレス氏は非常に熱心でした。経済の場において競争を生き抜かなければいけないメーカーにとって、それは自然なことであると思います。
黎明期からの日本のカスタムナイフ市場では、ナイフメイキングの先駆者を超え「ナイフの神様」としての呼称を定着させました(これは受け入れる側の事情もあったと思いますが)。アメリカ国内においてもラブレス氏は自分をドラマティックに見せることに腐心していたことは、彼の近くにいた人からも耳にしました。

話をニューヨーク・スペシャルに戻します。
ラブレス氏は自分にごく近い人に対しても、「ニューヨークの刑事から護身用の小さなナイフを頼まれ、その場で喫茶店のナプキンにデザインを描いた」という話を実際にしていました。
聞いた人は、本職の刑事からも注文を受けたんだ、と思うことでしょう。
本人の言葉ですので当然信じる人が多かったでしょうし、中には事情を知っていて「Ted Devlet氏のショーのために作ったんじゃなかったっけ?」と思いながら聞いていた人もいました。
日本においてもかつてのナイフブームの際、業界をリードした方々はラブレス氏にあこがれ、ラブレス氏やラブレス・ナイフを目指した方たちがほとんどでしたので、当然そうした話を耳にされたと思います。
実際格好良くて、スペシャリスト感あふれる光景が目に浮かびます。
そんなストーリーを含めてわくわくした時代も楽しかったなと、今では思います。
分野を問わずこうした権威付けはどんな世界でも行われており、実際に著名な人や組織が関わった事実がはっきりしている話から内容の真偽に?となるものまで、色々な例を目にすることが多いです。

でも私自身はそうした夢のある話と同時に、ラブレス氏が考えていた「いかにして売るか」という戦略や、良い時期だけではなかった実際の苦労や、その他もろもろの賛否両論含めた人間ラブレスとしてのストーリーに大きな興味がありました。
良い話も良くない話も聞きましたが、一時代の花を見ることができたという経験は、自分にとって幸せだったと思うのです。