New York Specialについて②Ted Devlet氏とN.Y.C.C.K.C.C.

AMERICAN BLADE誌の1978年6月号に、おそらく世界で最初のカスタムナイフ・ディーラーと思われるTed Devlet氏に関する記事が載っています。
Ted Devlet氏はNew York City Custom Knife Collector’s Club(N.Y.C.C.K.C.C.)を立ち上げた人であり、この N.Y.C.C.K.C.C.が現在のNew York Custom Knife Show(N.Y.C.K.S.)につながっていくことになります。

この記事の中で、Devlet氏とラブレス・ナイフについてこう書かれています。
「彼は1970年に最初のラブレス・ナイフを注文し、1973年に受け取った」
記者はDevlet夫妻と話した内容を書いており、しかも記事が出たのは実際の出来事からそう遠くない1978年です。本人の発言であることからも、おそらくこの年号に間違いはないでしょう。
Devlet氏が初めてラブレス・ナイフを手にしたのが1973年というご本人の発言がある以上、それ以前の1972年にニューヨーク・スペシャルを購入していたとは考えづらいのです。
しかもニューヨーク・スペシャルが初めて公開された場は、他でもないそのDevlet氏が開いた小さなショーであったことがわかっています。

ここから先は、私が当時の事情を知る方々から伺った内容をまとめたものになり、あくまでも推論であることをご了承下さい。
Devlet氏が有志数名と共に始めた N.Y.C.C.K.C.C. ですが、当時の事情を知る方によると、最初は彼の住居兼ショールームであったマンションの一室で始められたささやかな集いだったようです。
その集いに、Devlet氏はラブレス氏を招待したいと考えました。
ショーに参加する一年前、ラブレス氏はニューヨークを訪れ、二人はニューヨークの街を歩きながらショーのことを話し合いました。
「ニューヨークではみんながスーツを着ている。そんな君たちが自衛のために持てるようなナイフを作ろうと思っているんだ。」ラブレス氏はそう話したそうです。
オリジナルのニューヨーク・スペシャルの特徴に、独特の財布(Wallet)型シースが挙げられます。
私は、この財布型シースは従来言われている「ポケットの中で安定させる」目的のみではなく、「財布を取ると見せかけてナイフを取り出す」ことを想定したものだと確信しています。

ラブレス氏が「Lawndale時代に作ったハイドアウトを小型化し、特殊なシースに入れる」という構想に至り、ニューヨーク・スペシャルとして発表するまでに一年、Devlet氏がラブレス・ナイフを目にしたのが1973年以降であることを考え合わせると、実際にニューヨーク・スペシャルが製作されたのは早くても1973年(後半?)、Devlet氏が実際の作品を見てからショーへの参加を提案したとすれば、翌年の1974年以降ということになります。
そしてS.R.Johnson氏が期限に追われたニューヨーク・スペシャルの製作を記憶されていたことから、時期は遅くともJohnson氏が工房を離れられた1974年10月より前です。

私はおそらくニューヨーク・スペシャルは1974年に作られ、その年の N.Y.C.C.K.C.C.でお披露目されたと考えています。
そしてラブレス氏が当時ニューヨーク・スペシャルという名前に込めた思いは「N.Y.C.C.K.C.C.へのショー・スペシャル」、もしくは「ニューヨーク市民のためのスペシャル・ナイフ」だったのではないかと想像します。

さて、満を持してラブレス氏が発表したニューヨーク・スペシャルでしたが…当時 N.Y.C.C.K.C.C. のショーに参加したコレクターの反応は芳しいものではありませんでした。